TBS制作、1989年7月8日に土曜ドラマスペシャル枠で放送された2時間ドラマ「ポルノ女優小夜子の最後の冒険」のご紹介です。
このドラマについては、個人的には作中に登場するボディペインティングシーンの抜粋を見たことがあり、またネット上でも諸所の掲示板・ブログ等で何度か話題に出たことがあったようですので(最近ではブログ「汚れし乙女は美しい」が取り上げておられました)、ブログをご覧の方の中にもご存じの方は多いかと思います。このたび匿名の方のご厚意でドラマの全編を見せていただける機会があり、ボディペインティングがドラマ全体で重要な役割を果たすなど興味深い点もありましたので、記事にしてみます。
まず、このドラマの背景や前提となる構成要素について簡単にご説明しておきます。
このドラマでは、自然や建物などの様々な背景にボディペインティングで溶け込む表現技法やアートがドラマ全体に関わる主要なテーマの一つとして登場しています。
本作で取り上げられるボディペインティングは、ドイツのファッションモデルでアーティストとしても活躍したヴェラ・レーンドルフ(Vera Lehndorff)の写真集「ヴェルーシュカ 変容」(原題「VERUSCHKA: Trans-figurations」、原書の出版は1986年、邦訳版は1987年)から着想を得ており、作中でも同写真集が複数のシーンで登場しています。写真集のおおよその内容については、Googleイメージ検索などで「VERUSCHKA: Trans-figurations」と入れると写真が多数出てくるのでそちらをご覧いただくのが早いと思いますが、ヴェラ・レーンドルフが全身を巧みにペインティングして自然や人工物など様々な背景へ同化・一体化する様子が主な作品テーマになっています(他にも裸体に衣服を描くなど、違ったタイプの作品も収録されています)。ドラマでは、「ヴェルーシュカ」という単語はこうした擬態行為の代名詞的なものとして使われています。
そういった奇抜なアート要素と絡める形で、1988年から89年にかけて現実の政財界の大型贈収賄スキャンダルとして世間の関心を集めたリクルート事件(Wikipedia)をモデルとしたストーリーが展開されます。また制作・放送当時のバブル景気とも相俟って、時事色・時代色の濃い内容になっています。
それら「ヴェルーシュカ」と「リクルート事件」というまったく関係のなさそうな2つの要素を詰め込んだドラマが、TBSの2時間ドラマ「ポルノ女優小夜子」シリーズの一作品として制作されました。同シリーズはこれ以前に数作品あったようですが(Wikipedia南條玲子の出演作品一覧)、私はそれらを見ていないため、このシリーズに共通する基本的な人物設定やお約束事については正確には把握していません。
前置きが長くなりましたが、以下、ボディペインティングに関わるところを中心にストーリーを追っていきます。
ドラマは、主人公の小夜子(南條玲子)が、贈賄事件の渦中にあるクリエート社の会長野添(蟹江敬三)が自殺したことを街中の新聞で知るところから始まります。小夜子は野添のある秘密を知る特別な関係にありました。オープニングタイトルを挟み、ストーリーはそもそもの事の起こりへと遡る形で始まります。
オープニング。字幕、「ヴェルーシュカって何!?」…。
野添の死の3ヶ月前。森の中を駆け回り絡み合う、全身緑に溶け込むようなボディペインティングをした男女。
その神秘的な光景を遮るように、「カーット!」の声が響きます。これは元ポルノ女優の小夜子が監督をするAVの撮影でした。演技にダメ出しをするなど一人張り切る小夜子に対し、勝手に私有地に立ち入っての撮影のため、小夜子をなだめながらなんとか早く切り上げさせようとするスタッフたち。ストーリーで出てくるセリフを総合すると、本作では小夜子は弱小映像プロダクションでアダルトビデオの監督をしていて、そのプロダクションは「元ポルノ女優が監督したアダルトビデオ」を売りにして食いつなぐような苦境にあるという設定になっているようです。余談ながら、この作品のタイトルは、ちらっと映った台本の表紙によると「大自然ファック 快感七転び八起き 草になるまで待って!!」だそうです。いかにも売れなさそうな…とか、こんなのを撮っている場合では…というのは、おそらく現場でも禁句なのでしょう。
小夜子の熱い演技指導。「2人とも!気持ちが草になってないの。汗くさいセックスなんか見たくないのよ、あたしは。2人は都会を逃れて、身も心も自然の中に溶け込んでんのよ!何のために塗ったんだか分かんないじゃないのよ!サノくん、絵の具持ってきて」
女優に「動かないで!」と指示を出し、一人真剣な顔で絵の具を塗り直す小夜子。スタッフの一人が「まるでカメレオンだな、こりゃ」と茶化し、小夜子は「バカにするなら、私おりるわよ」と怒り気味です。このあたりはコミカルな演出になっています。
小夜子「2人とも真剣にやってよ。草になったつもりで、これ芸術よ!」
女優・男優「はーい」
離れた建物から、撮影の様子を双眼鏡で眺める男。この土地と別荘の持ち主である野添(のぞえ)でした。野添は一代で年商数千億円の会社を作った時代の寵児で、政治家とも深いつながりを持っています。小夜子は撮影の様子に興味を持った野添に呼び出され、現場からそのまま別荘へと招待されます。
野添は、小夜子が元ポルノ女優で、今森の中で撮っていたのは低予算のアダルトビデオだという話を聞いても、終始紳士的な受け答えでまったく動じる様子がありません。彼が小夜子に興味を持ったのは、どうやらボディペインティングが理由の様子。
野添「裸体にペインティングを施し、草に同化させる。あれは、体を半分物質化させるということでしょ?」
小夜子「こっから見えました?あれ、面白いでしょう?(笑)」
野添「どうして、ああいうことをやろうと…」
小夜子「どうしてって…。別に…。思いつきです、ただの」
野添「じゃあ、あなたのオリジナルですか」
小夜子「オリジナルかしらね」
野添「それは素晴らしいなぁ。私はあなたの才能に、強い刺激を感じます」
この日をきっかけに、野添と小夜子は接近し、クルージングに誘われたり、食事をともにするようになります。周囲からはどうせ体目当てだと忠告を受ける小夜子ですが、野添の関心はどこまでもボディペインティングにあるようでした。食事の席で、野添は自分も前からそういうことに関心があったと言って、写真集「ヴェルーシュカ 変容」を小夜子に見せます。
野添「実は私も前々から興味がありましてね」
小夜子「『ヴェルーシュカ』…。(ページをめくって)まあ…すごーい…。ここまで来ると、芸術よねー」
野添「そうですか。そうでしょうね。あなたなら理解してくれると思った」
最初に会ったときの会話にもあるように、小夜子のボディペインティングへの関心はあくまで表現としての「面白さ」であって、特別な嗜好として好きなわけではない様子です。しかしそうしたものへ惹かれる嗜好を理解し、手助けする役割を担うようになります。
折しも野添は政治家への未公開株の譲渡をマスコミにスクープされ、徐々に窮地へと追い込まれ始めますが、その一方で、ボディペインティングの実践の世界へ足を踏み入れます。最初にやったのは、廃墟となっている廃工場へと行き、小夜子に対してボディペインティングを施すことでした。この記事では深く触れませんが、このあと出てくる随所での台詞から、野添は廃墟へと惹かれる感性も持ち合わせた人物として描かれています。
小夜子の体に絵の具を塗る野添、「うひゃー冷たい!冷たい!ガマンしますから、早くお願いします」と冷たがる小夜子。このあたりはリアリティある描写とも言えます。
鏡で自分の姿を見る小夜子。
小夜子「おもしろーい!あたしの体半分消えたみたい。変な気分」
野添「もうこれくらいにしておきましょう」
小夜子「いいですよ、全部塗っても!面白いから」
野添「いや、もういいんです」
小夜子の反応はあっけらかんとしたもので、自分の姿を面白がっています。一方、なぜか野添は途中で興味を失った様子で、完成前に中断してしまいます。
野添のマンションで絵の具を落とす小夜子。このあたりもコミカルな演出です。
小夜子「うわー、こりゃたいへんだ。なかなか落ちない。ぷわー」
シャワーのあと、二人の会話。
小夜子「あの、急に無口になっちゃって、どうかしたんですか?なんかモデルがいけなかったみたいですね、ごめんなさい」
野添「いや、小夜子くんは完璧でした。ただ、私の中に何も満たされるものがなくて。何というか…空しい感じで」
小夜子「(お調子者な感じで)でしょう?あたしもそう思ってたんだ。ああいうのはまともな人間のやることじゃないから、空しくなりますよ、誰だって。ちょっとエッチな遊びのつもりでやったんでしょ?」
野添「小夜子くん。私はさっき変なことに気がついたんです。自分は塗られるほうに興味があったのではないかと。つまり、人を消したかったのではなく、自分が景色の中に消えてしまいたいと思っていたのだと」
画像は省略しますが、このあとは、野添がボディペインティングされる側で実践するようになり、自分を消し去る魅力へととりつかれていきます。さらには、野添はその魅力を自分で楽しむにとどまらず、つながりのある政治家へと広めてしまったことが、その後のストーリーで明らかになります。広める過程を示唆するような、大物政治家久我(佐藤慶)が廃工場でボディペインティングされる野添の様子を覗き見するシーン、そしてその少し後に出てくる野添と久我との会話。役どころにしても、演じる役者にしても、おっさん2人の会話です。
野添「ところで…この前のヴェルーシュカはいかがでしたか」
久我「はは、あれか」
野添「やってみませんか、先生も」
久我「塗るほうか、塗られるほうか」
野添「どちらでも」
久我「くだらん(笑)」
世間では贈賄事件の捜査が進み、検察が野添を逮捕する方針を決めた頃、野添はいつもの廃工場で背景に消えるボディペインティングを小夜子に施してもらっていました。背景に溶け込んだ野添の独白。
野添「小夜子くん、きみのおかげで、僕は今完全な自由を味わっているよ。(中略)カネと力を手に入れようともがいたが、まるでブラックホールにモノを放り込むように、僕の欲望は満足することはなかったんだ。しかし今、自分が自分の欲望から開放されるのを感じるよ。」
この直後、野添はこのまましばらく一人にしてほしいと告げて、これまでの写真一式を預けた上で小夜子を帰します。その翌日、ドラマ冒頭であったように、野添の自殺が報じられました。
ここからドラマは終盤に向けて新たな展開を迎えます。ここまでの説明では触れていませんでしたが、サイドストーリーとして久我の若手秘書沢田(宅麻伸)と小夜子は何度か会ううちに惹かれ合う間柄になっていてました。小夜子は、自分が野添から預かった写真を野添の部下若林(佐野史郎)が無理矢理にでも取り戻そうとしていることを知り、沢田に助けを求めます。
小夜子が野添から預かった写真を沢田が見ると、そこには野添だけではなく、久我を含む大物政治家たちの背景同化写真が含まれていました。野添は、つながりのある政治家たちに、未公開株だけではなく「ヴェルーシュカ」の嗜好まで伝染させていたのです。
沢田は小夜子とともに友人の医者を訪ね、背景同化に耽った野添の症状が「ヴェルーシュカ症候群」なる病気であることを確認します。医者の説明では、自己顕示欲の強い人間はその代償として仮面を脱いで正直なりたい欲望も抱えていて、それが昂じると人間以外のモノへとなりたい背景同化へと走らせる、ある種の陶酔感を伴う自己懲罰的な自己消去で、下手をすると自殺につながる、それがヴェルーシュカ症候群であるというのです。もちろん、このような「病気」は実在せず、このドラマのためのフィクションです。
久我の秘書である沢田は、本来ならば写真を始末する立場のはずですが、小夜子を助け、むしろ写真を利用することを思い立ちます。実は、沢田は久我のせいで父親が自殺に追い込まれた過去を抱えていて、復讐の機会を窺っていたのでした。
一方、野添の部下若林も、野添の秘密の嗜好と死に至るまでの経緯、さらに同じ嗜好が政治家たちにまで広められたことを掴んでいて、野添とつながりのあった政治家たちの秘書連中もその若林から事情を聞かされ、小夜子が持つ写真を取り戻すべく動き始めます。作中、ヴェルーシュカの写真は公開されると政治生命に関わるものということになってますが、たしかにかなり奇妙には違いないにせよ、局部の露出もなくパンツ一丁でボディペインティングしているだけの写真に、それほどの威力があるのでしょうか。
他の秘書たちが小夜子を追い始めたことを知った沢田は、小夜子に電話して、すぐに自宅から逃げろと指示を出します。ちょうどそのとき、小夜子は顔を半分茶色に塗ってヴェルーシュカごっこをしていました(「ヴェルーシュカ 変容」に顔の半分ではなく全面ですが類似のメイクの写真があります)。同化嗜好を理解しかけていることを示すシーンなのか、それとも深い意味はないのか、正確なところは分かりません。逃げるときはしっかりメイクを落としています。
沢田は小夜子に居所を転々とさせて匿いつつ、写真を利用して久我の政治生命を絶とうと脅迫状を送るなどの行動を始めますが、他の秘書たちに小夜子と沢田の結びつきを嗅ぎつけられます。老獪な久我から、将来政治家にしてやるから大人になれ、一人前の政治家になることこそ父親の無念をはらすことだと諭された沢田は、結局、小夜子の居所を明かし、いったんは婚約までした小夜子のことを裏切ってしまいます。
そしてラスト、小夜子は秘書たちに捕まってしまい、筏にくくりつけられた上で(なぜか)背景同化のボディペインティングを施され、海に流されます。秘書たち合掌。隠す気があるのかどうか分からない処理方法です。
映像では、秘書たちに拉致される→車で移送される→筏にくくりつけられた状態というふうにシーンが変わるためペインティングする場面はありませんが、このあたりは、秘書たちがあれこれ言いながら慣れない手つきで絵の具を塗ったのか?とか、写真を取り返すだけで充分ではないのか?とか、いろいろ想像や疑問が浮かびます。が、おそらく作り手もそんなに深くは考えていないのでしょう。
画像は省略しましたが、このあとに公園の土(泥ではないです)の中にスーツ姿で埋まった沢田がむっくり起きあがるシーンがあります。何者かに埋められたというわけでもなさそうで、沢田の贖罪意識を表しているのか何なのか、特に説明はなくそのシーンの意味するところは正確には分かりません。
海に流された小夜子でしたが、漁師の船に見つかって救助され、最後に街中で金権政治の撤廃を叫びながらビラを撒くところでドラマは終わります。
エンディングロール。
ドラマでお約束のフィクション宣言。ただしヴェルーシュカ(ヴェラ・レーンドルフ)は実在の人物で、「ヴェルーシュカ 変容」は実在の写真集です。
というような感じで、ストーリーや設定がかなりぶっ飛んだものだということはお分かりいただけるかと思います。
当時の時事ネタ、アート要素、2時間ドラマ特有のコミカル要素と細かいところに頓着しない強引さが混ぜ合わされていて、ぎりぎりのバランスで面白く見られる娯楽ドラマに仕上がっている印象を持ちました。ツッコミながら見るのがお好きな方であれば、楽しめる要素は多いかと思います。
ストーリー設定としてボディペインティングに嗜好性を持たせていることは、このドラマの大きな特徴と言えます。制作時期からして制作陣がmessyと呼ばれるようなフェティシズムを明確に視野に入れていたとは考えにくいですし、またドラマで描かれている背景同化願望といわゆるmessyとはまた別物だとは思いますが、結果的に、messy嗜好を連想できるようなものが描かれているという見方はできると思います。
全体を通じて、小夜子は野添に対してボディペインティングによる背景同化嗜好を目覚めさせる役割を果たしているものの、小夜子本人はアダルトビデオの撮影でその演出を単純に面白いと感じたから採用したに過ぎません。嗜好的な意味での関心については、それに客観的な理解を示しつつも、小夜子自身がそうした嗜好を持つところまでは至りません。一方、野添にとってのボディペインティングは、単なる面白さを超えた、止められない何かとして描写されています。小夜子はシリーズものの主人公ということからすると、そもそもその時点で特殊な嗜好を持つ役割を担わせることは出来なかったと思われます。
本作で同化嗜好の持ち主として描かれているのは男性のみですので(しかも中高年の)、「ヴェルーシュカ」をテーマにしているとだけ聞いてこのドラマを見ると、がっかりされる方もおられるかもしれません。
どういった経緯でこのような脚本が出来上がったのか分かりませんが(当時のテレビ誌などで関連情報をご存じの方がおられましたらご教示ください)、もしヴェルーシュカ要素がこのドラマ企画の前提であれば、「消えたい願望」を持つ人物を女性であれ男性であれもっと若い役どころに設定するストーリーも可能だったように思います。たとえば野添の役割を何らかの大きなスキャンダルを抱えた有名女優あるいは男優という設定に変えても、リクルート事件を取り入れることはできなくなるにせよ、ほぼ同趣旨のストーリーを構成することは可能そうです。しかし当時の制作陣は何らかの理由で「おっさんを主人公に描こう」と決めたようで、今さらあれこれ言っても仕方ないことなのでしょう。
もしかしたら時事ネタとしてリクルート事件を題材にするということがまず企画の前提にあり、ヴェルーシュカについては、「こんな変わった写真集がありますがこれをちょっと今回の企画に絡めてみてはどうでしょう?」みたいな、副次的なテーマだったのかもしれません。
ドラマでの背景同化嗜好の描かれ方として他に興味深い点としては、自分の内なる嗜好の正確な姿に気づいていない人物が実践に足を踏み入れ、人を塗り込めてみて初めて自分は塗り込められたい側だったと気づくあたりの描写、その嗜好は伝染しうるものだという捉え方なども挙げられるでしょうか。
一方で、その嗜好が「病気」扱いになっていること、写真集「ヴェルーシュカ」をめくりながら小夜子の母親がつぶやくセリフ「どう考えてもまともな神経の持ち主のやることじゃないね、早くやめたほうがいいよこんなバイト」、秘書たちに野添の死の経緯を説明しに来たときの若林のセリフ「常人にはなかなか理解のできない趣味でございます。(中略)自殺当夜もその趣味に耽っておりましたがそれは私が上手く処理しました」などの部分については、扱われ方に対して一種の引っかかりのようなものを感じる方もおられるかもしれません。私自身は、ドラマ全体があまりに飛びすぎていることから、そういった要素にも不快な感じは受けませんでした。
小夜子を演じるのは今は芸能界を引退した南條玲子という女優で、映画やドラマでヌードを披露することも多かったそうです。出演者へのボディペインティングは、登場人物が絵の具を塗るところも一部にありましたが、基本的にはその技術を持つアーティストが施したようで、エンディングでは「ボディペインティング 福井篤 水本剛廣」とクレジットされています。
放送日時や主要キャストなど作品の基本情報については「テレビドラマデータベース」もご参照ください。今回私が見たのは、1993年6月26日に再放送されたときのものです。権利関係に問題がなければ、いずれCSやBSで再放送されることに期待したいと思います。
また、写真集「ヴェルーシュカ 変容」は、現在でも古本であれば売られていることがあります(Amazonなど)。巻末にはヴェラ・レーンドルフ自身のエッセイがあり、どのようなモチベーションでこうした写真を撮るようになったのかが述べられています。この写真集にも興味がありましたら、一度現物をご覧いただければと思います。
なお、このドラマについては、「未紹介シーン・未発掘シーンをお持ちの方へ…」をご覧になった方からご連絡をいただき、今回の記事となりました。他にもお心当たりのシーンをお持ちの方がおられましたら、是非ご一報ください。
今日やってたぐるナイで芸人VSモデルで粉を使ったゲームがあったと聞いたのですが、それはどうだったのでしょうか?
早送りした限りでは、モデルチームには特にそれっぽいシーンはなかったようですが…。
私も当時、学生でしたが興奮しながらビデオを撮って、今でも本放送の時のをVHSテープで持っています。確か大物有名人が亡くなって特別番組が入り、本放送は後日放送されていました。
リアルタイムにご覧になったんですね!
いろいろな点で、今だと制作が難しそうなドラマですね。