Top > Specials > やまとさんインタビュー 2018年(2) (2018年5月6日掲載)

やまとさんインタビュー 2018年(2)

このページは、「やまとさんインタビュー 2018年 ページ1」のつづきです。

ページ1に戻る ページ3に進む

このページの目次

初めての映像作品

h:たしかそのあと映像作品*も撮ってましたよね。それがいつでしたっけ。(*注釈 … やまとさんの最初のビデオ作品「JAPAN MESSY CARD GAME さくら編」のこと。作品紹介ページ参照)

Y:最初の撮影が2012年なので、サイトを作った翌年ですね。

h:けっこう早いですね。イラストで数年やってから映像に、みたいなイメージでしたが。

Y:サイトを起ち上げました、それによって、動画を撮る人たちとのコミュニケーションができるようになりました、そこで話を聞いて触発されました、というルートですから。撮ろうと思ったのは、2012年1月の足立さん(スタジオあるく!)*の新年会に行ったあとですから。そこで足立さんとか並木さんとかと話をして、撮ってみようと思って撮った。(*注釈 … サイト「スタジオあるく!」管理人の足立駿介さん。最近はときどき実践イベントを開催されています)

h:こっちの趣味に会う機会はそれが初めてでしたか?

Y:いや、それが2回目です。その前に、2011年10月か11月頃、Twitterで知ってた人のイベントに行ったことがあって。あるイベントスペースのコーナーの一つにメッシーがあって、そこで槙村さん*と会ったのが最初です。(*注釈 … 槙村瞭さん。日本最初期のメッシービデオ「Wet and Messy Art Japan Vol.1」を監督されました。)

h:へーえ!初めてが槙村さんというのもすごいですね。それで誰かと会うことで一つハードル越えた感じですね。それ(2011年のイベントと2012年の新年会)によって、画面の向こう側を見た感じだと思うんですけど、それが影響していますか。それでハードルが低いと思ったか、あるいはアドバイスを受けて触発されたか…。

Y:アドバイスが大きかったですね。画面の向こうの人という意識は、たしかに減りましたけど、それはSNSの台頭とかで薄れていたし、自分もいい年になっていたので。ただ、撮ろうと思ったときに、撮るための手順、モデルさん、どこで、何を使ってとか全然わからないわけじゃないですか。それを新年会でアドバイスを聞くことによって、それならできるかもね、っていう思いですね。

h:要は、やり方がまったくわからなかったのが解決されたのが大きい。

Y:あとは、当時はそういうのが楽しかったですよね。なんでもかんでも初めてだからね。新鮮でしたし。

h:(サイトをやることで)一気に画面の向こう側が近くなった。

Y:いや、徐々に徐々に、ですね。初めてビデオ買った2000年という時代から、この世界はどんどん大きくなっていったし、足立さんのサイトができたり、himajinさんのサイトができたり。いろんなサイトがいっぱい、できては消え、できては消え、いろんな歴史を見て、一定程度この世界のことも把握して、自分も大人になって、(上の世代の人たちが)「話せない人たち」ではなくなってきて。そこにSNSが流行りだして、意外にいろんな人たち、遠かった人たちとのやりとりが身近になって、絵を載せたら反応があったり。時代の流れとともに、2000年代初期の10年間を使って、じわじわと縮まっていった、というのが正しいと思います。

h:10年かけてじわじわと、という感じですか。ガバッと一気に超えた感じではなかったんですね。

Y:その間、上京もしましたし。

h:10年という歳月は必要でしたか、それとも、今振り返るともっと早くに同じことができていましたか?

Y:うーん、必要だったというよりは…。その気になればもっと早くできたかな、と。

h:そういう質問をしたのは、こういうこと(絵を描いたり映像を撮ったり)って、やりたいと思ったら早くやったほうがいいのか、それとも機が熟するのを待つのがいいのか、みたいな疑問があって。

Y:えっとね…。早くやったほうがいいと思います。

h:ですよね。

Y:機は来ない。

h:来ないですね。

Y:結局、徐々に徐々に狭まっていったことによって、俺の場合は1個1個のハードルが小さくなっただけで、超えるハードルの数は変わらないんですよ。で、最後の「やるかやらないか」っていうハードルは、たぶんいつやっても一緒で、それはもう飛ぶという決断をしないと飛ばないハードルだと思うので。「やりたいなー」と思っているうちはやらないと思います。

h:「よし、やるんだ」となったら、やるということですね。

Y:そうそう。その決断は早いほうが、より自由度は広いと思います。

h:全体を眺め渡して冷静に考えたら、今やってることはもうちょっと早くでも始められたかも、という。

Y:全然行けたと思う。

h:と考えれば、早くできるならやったほうが、という感じですね。

Y:で、早くやらないと環境が変わりますからね。家庭を持つとか(笑)。

h:それで苦労されている方もおられますね。

Y:早いうちにやれるんだったら、早いうちにやったほうがいい。

h:新しい方が増えるといいんですが。

Y:なんだろう、今はもう、サイトができないじゃないですか。新しい方が出てきても。

h:それはもう仕方ないんですけど。

Y:だから、人が増える実感がないんですよ。

h:たしかに、SNSだと人が増えてもその実感がわきにくいところがありますね。むかしだと、ぽこっとサイトができると、あ、こんなサイトができたんだ、みたいな。

Y:人が増えた感覚があったんですよね。新しい人が出てきた、みたいな。今はそんな感覚がないじゃないですか。

h:ただ、それは、サイトがぽこっぽこっと生まれる時代を知っている人の感覚ですよね、たぶん。最初からSNSが当たり前だと、たぶん見方や景色は違うので…。

Y:そうでしょうね。これは古い人間の感覚なんでしょうね。

h:そうですね。

Y:(今は)「今さらサイトて…」みたいな(笑)。意味ねえし、みたいな。

h:そうそうそう。

Y:当時(自分がサイトを作った頃)はまだ、「こういうサイトができた」ということに周りの人がリアクションしてくれたので。そういうリアクションが、「輪の中に入れた」感だったのかなと。

h:覚えてるのは、2012年12月に名古屋のスタジオあるく!さんの忘年会でやまとさんと会ったのと、2013年だったか、大阪のイベントで早めに着いて外を歩いてたら向こうから見覚えのある人が歩いてきて、みたいなのは覚えてますね。

Y:駐車場でばったり。himajinさんと本当に喋ったのはその大阪のときですよね。

h:時間つぶしで喫茶店行きましたよね。

Y:そうそう。

h:それは覚えてる。

やまとさんのビデオ作品「JAPAN MESSY CARD GAME さくら編」と「顔汚し」より。

今なお、サイトはあったほうがいい?

h:これから動画を撮って発表する人や絵を描く人に向けてですが、敢えて今なお、サイト(あるいはブログ)って、必要、あるいはあったほうがいいと思いますか?

Y:あったほうがいいと思う。

h:なぜですか。

Y:たとえば絵でpixivに載せたとして、pixivのアカウントを持ってなかったら見られなかったりするので。それがサイトだと、アカウント関係なく見れる。もちろん、(pixivと自分のサイトと)両方に載せるのは全然アリだと思いますよ。

h:(pixivだけの場合)そこでアカウントを持っていない人が作ってくれるかどうかというと…。

Y:よほど強力な引きがないと作ってくれない。もちろん、サイトを作ってもSNSとのセットが前提になると思いますが、SNSのプロフィール欄から自分のサイトに飛べてすぐ作品が見れる、という導線があったほうがいいと思う。

h:私は、(動画や写真の撮影で)モデルさん向けに説明するときに、(自分の作品を載せている)サイトやブログがあったほうが説明しやすいかなという理由で、あったほうがいいかなと思いました。

Y:それもありますね。まあ、(サイトの必要性に関しては)そうは言っても…というところはありますけどね。定期的な更新のネタを維持するのも大変だし。でも、あって困るものではないので。

h:(むかしはサイトに設置されていて盛り上がっていた)掲示板やチャットルームって、今はもう役割が終わったんですかね?

Y:終えましたね。それが盛り上がっている(WAM系の)サイトって、今はもうほとんどないんじゃないですか。

h:海外だと(掲示板式の)UMDがまだ盛んですが、日本の場合と何が違うんでしょうね。

Y:あと、メールも書かなくなりましたね。TwitterのDMが今はその役割なんでしょうけど、DMだとチャットとメールの中間みたいな感じで、メールとはまたちょっと違うのかなと。

h:ここ1、2年で特に感じているんですが、ネットの様々な媒体とデバイスがSNSとスマートフォンに全部吸収されていっているという印象です。別にネガティブな意味で言っているわけではなくて、これからどういうふうに変わっていくんだろうと、単純に興味があります。ただ気になることとしては、SNSは、見える世界は意外に狭いというか、SNS時代以前に比べて景色が広がったかというと、必ずしもそうではない気もして。

Y:人とすごく繋がりやすくはなりましたけどね。

「WAM生!」の開始

h:これも聞きたいと思ってたんですけど、「WAM生!」*について。最初は何年でしたっけ。(*注釈 … やまとさん制作による、モデルさんがニコ生で視聴者さんから送られてくるコメントを通じてメッシーの実践を繰り広げていく生配信番組。過去の配信回一覧

Y:えーと、2014年の4月です。

h:ちょうど4年前ですね。それを始めようと思ったのは、なぜですか?

Y:これは完全に、2012年のスタジオあるく!さんのイベントと2013年の大阪のパフォーマーさんのイベントです。

h:大阪でやったメッシーライブですか?

Y:いや、東京の新年会。

h:それまた、なぜ。

Y:メッシーの実践をみんなで見たり、他の人と話をするというのを、初めて経験したんですよ。リアルタイムで見るとか、隣の人たちと会話しながら見るとか、終わったあとに感想を言い合うとか、それが楽しかったんですよ。生で見ながら喋るのがすごく新鮮だったんですね。通常のビデオは、撮影されて決まったもの、既に終わったのをまとめたものを流してるけど、メッシーライブとかって、今から目の前で起きることが、直接見れるわけじゃないですか。

h:それを自分でコンテンツでできないかな、というのがきっかけですか。

Y:そう。

h:きっかけから「WAM生!」第1回まで1年以上かかったのは?

Y:いくつか技術的な問題があったので。あと、当時(2012年頃)は生放送に出てくれるモデルさんがまだいなかった時代。

h:もしかしたらいらっしゃったのかもしれないけど、まだそういうフリーモデルさんの世界と繋がっていなかった時代ですね。

Y:そうそう。こっちの世界がね。

h:一つすごいなと思うのは、「WAM生!」って、無料ですよね。予算的に持ち出しで。

Y:いや、リターンがある想定でやってるんですけどね(笑)。

h:まだ販売してないということですね。

Y:モデルさんから許可はもらってるので、俺が編集すればいつでも売れるんですけどね。

h:それは早く出したほうがいいと思います。

Y:そうですね。

h:現状、予算持ち出しでそれを重ねてるのはすごいなと思います。

Y:楽しかったんですよね。

h:要は、やり甲斐ですよね。

Y:初めてやったときに、機材トラブルで開始が10分くらい遅れたんですよ。その中で、真っ暗な画面の中で、視聴者の方が会話してたんですよ。「こういうのを見るの初めてなんです」とか、「けっこうこの趣味の人たちいっぱいいるんですね」とか。いざ放送が始まって、モデルさんを紹介すると、「8888(ぱちぱちぱちぱち)」(拍手)とか。すごく放送を楽しんでもらったというのが、コメントから伝わってきたんですよ。それが嬉しくて。

h:それによって、よし2回目やろう、という。

Y:はい。

h:「WAM生!」のいいところは、ダイレクトに反応がわかるところですね。これもいつも思うんですが、イラストでも動画でも何でもそうですけど、反応って、嬉しいですよね。

Y:リアクションがないとやってられないですよ。前も喩えましたが、何のリアクションもない状態で作品を作り続けるのは、無人島から瓶に手紙詰めて流すのと同じだ、と。

h:あてのないことはできない。

Y:できない。心が折れる。

h:そういう意味では、(コンテンツの継続のために)リアクションを送るというのはわりと重要ですよね?

Y:重要ですね。

h:もし、次も見たいコンテンツがあったら、絵でも何でもそうですけど、言ったほうがいいですよね。

Y:100パー、言ったほうがいいです。絵でも何でもそう。Twitterのリツイートでもいいねでも何でもいい。

h:さらに一言何か感想があればさらに嬉しい(笑)。

Y:ばっちりです。

h:それがやっぱり、どんなことでもいちばん大きい原動力かな、と。「WAM生!」が続いてるのもそこですね。

Y:いちばん最初に(JMIとして)映像作品を出したときに、結構売れたんですよ。でも、それよりも、「WAM生!」のコメントのほうが嬉しかったので。もちろん、売れるのも嬉しいですけどね。

h:そうですね、買っていただけるのはありがたいですね。

Y:ただ、自分の中では、それがモチベーションの割合として、あまり大きくなかったんだと思う。

h:そこは結構、作り手の人によって違いますよね。

Y:うんうん。

h:私はテレビ番組情報のブログ*やってますけど、あれなんかは客観的に見れば、何のためにやってるんだろうみたいな感じなので。もちろん、自分的には、やってて面白い部分があるからやってますけど。リターンがあるわけでもないし、リアクションがたくさん来るわけでもないので。ただ、アクセス数を見てると、めっちゃアクセスは多いので、これだけ見ていただいてるんだったらまだ続けようかな、とは思うんですが。ただ、Twitterに1個あげるほうがよっぽど反応がわかりやすかったりするので。(*注釈 … ブログ「Messy Scenes on TV 関西版」のこと)

Y:そうなんですよね、(Twitterのほうが)わかりやすいんですよね、反応が。

h:Twitterだとリアクションが可視化されているというか。そういう意味ではやっぱり、ブログを続けていくのはどうなんだろうと、考えてしまうことはありますね。

Y:まあ、サイトは情報の蓄積場だと思ってるので。SNSとはそこに明確に差があるところ。

h:そうですね、SNSは古い情報にアクセスしにくいですからね。

Y:あの情報に、っていうのがアクセスしにくいじゃないですか。

h:アーカイブには向いてないですね。

いずれも「WAM生!」より。

面白そうだったら何でもやりたい

h:これは当事者から当事者への質問になってしまいますが、そういうモチベーション的な意味でいえば、なぜ自主映画を作ろうと思ったんですか?

Y:面白そうだったから。いっしょでしょ?

h:まあ、そう言われればそうですが。

Y:まあ、さんざん、やってるときも話しましたけど、物語を作りたいというのが、俺の中でずっとあったので。

h:なかなか、それだけでは実現に移せないと思いますけどね。

Y:一人ではできないですからね。

h:映画は集団作業ですからね、どんなものでも。

Y:あと、過去そういうのをやろうと思った人がいないから。面白そうだなと思ったら、結構なんでもやってみたい派です。

h:要は、アンテナに引っかかれば、みたいな。写真のROM作品撮りとかもそうですよね。

Y:節操ない。絵だって好きだし、動画も撮ろうと思えば撮るし、写真も綺麗だなと思うし、生放送も面白いなと思うし。

h:そういう中で、自主映画は一人じゃできないですね。結局、私が(漠然とやりたいと思いながら)やってなかったのもそれが理由なので。

この20年間で劇的に変わった

h:ネット見始めてから、恐ろしいことに20年くらいですか、何か、感慨ありますか?ざっと眺め渡して、景色が全然変わって見えるか、それとも、意外に何も変わってないなと思うのか。

Y:いやいや、全然変わったと思う。技術的にも変わりましたけど、インターネットを通じたコミュニケーションの仕方が劇的に変わりましたし。

h:変わりましたかね?

Y:以前の、メールとか、掲示板というやり取りと、今の、SNSを介したコミュニケーションだったり、通話だったり、動画だったり、劇的に変わってると思う。

h:へーえ。

Y:だって、今もこうして通話してるじゃないですか。これはチャットではしないですよ。掲示板でも無理。メールでも無理。インターネットでのやりとりの速度というのが、20年前とまったく違うと思うので。スピードが違うし情報量の多さが違うから。生配信なんて、その最たるもので。

h:そうですね。むかしは生配信はできなかったですね。

Y:当時は考えられなかったですね。

h:そういうのを発信している自分というのも想像できなかったですか?

Y:そうですね。ただ、今なら誰でもできるんですよ、「WAM生!」なんて。

h:細かい技術的・環境的・ノウハウ的なハードルはあっても、やろうと思えばできますよね。

Y:まあまあのレベルでできますよ、きっと。

h:あとは、身銭を切る覚悟と、ある程度時間を費やす覚悟と、そこですよね(笑)。

Y:覚悟的な部分と、あと、ここまで10回、11回やってきた経験が俺のアドバンテージであって、それ以外の部分は、他のジャンルに目を向ければ、俺より配信している人なんていっぱいいるから。それこそ、WAMの世界からユーチューバーだって出てないじゃないですか。

h:WAMのユーチューバーは、広告費稼げないでしょうねえ。

Y:でも1動画数万再生行って、年間蓄積したら…。

h:今はYouTubeの広告基準が厳しくなっているので。特殊向けコンテンツは、広告を付けるのが不適切という判断になりやすいので、たぶん広告費は入ってこないですね。

Y:そうか、そうですね。難しいですね。

h:結局、ニッチな形で売るしかない、みたいな。

Y:そろそろ、新しい活動をする人が出てきてもいいと思うんですけどね。

h:そういう意味では、ここ5年、「WAM生!」の放送は大きかったと思います。新しいという意味で。作品撮りは1990年代のジャンル黎明期からずっとあったわけで、放送であれだけやるというのは新しかったと思います。

Y:そうかもしれないですね。それはちょっと自負のあるところです。ただ、まだ新しいこと、新しいやり方はあると思う。

h:結局、その辺を振り返ってみると、うちのサイトは何一つ新しいことをやってないなというのをずっと思ってて。何か新しいことをやるつもりでこういうことを言っているわけではないんですが、客観的に見た場合には新しいことは何もないなと。

Y:そういう変化がないものも必要じゃないですか。

h:足立さんの一連のイベントも新しいですね。メッシーライブの第1回は2011年でしたが、それもこの10年の大きなメルクマールだったと思います。

Y:2000年代、もしくは1990年代というのは、そもそもショートショートもしくはイラストが全盛だった時代から、写真と動画全盛の時代に切り替わったわけじゃないですか。そこがたぶん1回目の転換期かなと。

h:その認識がちょっと違うのが、私はショートショートはあまり読んでいなかったので、最初から写真と動画の時代という認識ですね(笑)。

Y:もっと広く見れば、紙媒体からウェブ媒体に切り替わり、ショートショートやイラストから写真・動画で作品を作る時代になり、さらにはイベントとか生放送ができるようにもなり、と考えると、10年に1回ずつくらいは変革してますね。なので、次の媒体が来ますよ、きっと。

h:変化なんて今まで予測できたためしがないので、何か来るんでしょうね。

Y:全然違う何かかもしれないですね。

h:今スマホからだと、それこそ小学生の頃からこういう世界が見れちゃうんですよね。

Y:ねえ。中学校2年生くらいのときにですよ、YouTubeでメッシーの動画を見てスタートするわけでしょ。すごいよ。

h:昔からすると考えられないですね。

Y:でも友達には言えんわけですよ。彼女にも告白できない。

h:もし仮に自分がそれくらいの年齢で見ていたとしたら、学校の勉強とか手に付かなかっただろうなと(笑)。でも、こないだお話しした20歳前後の方から聞いたのは、初めて見たこちら系の動画が私のYouTubeの動画だったそうで、それはちょっと嬉しかったですね。

Route 207の未掲載画像より。

「当たり前」ではないもの

h:これもいつも思ってるんですが、ああいう(スタジオあるく!さんの)イベントって、全然当たり前じゃないですからね。今、当たり前みたいになっているところがあって。これだけコンスタントに開催していただいてると、当たり前に感じてしまうところはあると思うんですが、冷静に考えるとまったく当たり前じゃないですからね。

Y:ちょっと思うのは、イベント終わったあと、「楽しかったね、また来年」という話をするじゃないですか。当たり前のようにそれがそこにあるものとして会話をするじゃないですか。それって、たぶん、主催者にとっては、嬉しくないんだろうなと。

h:もちろん、それは嬉しいとは思うんですが、実は当たり前じゃないよというのは思っておいたほうがいいかなと。というのは、正直なところ、本当に次があるかどうかというのはわからない。主催者さん一人の決意一つに支えられているところがあるので。

Y:やるもやらないも、その人のさじ加減次第。

h:そうそう。環境や状況が変わっちゃうと開催できないというのは生じうることなので。と考えると、もし行くか行かないか迷っているという人がいたら、是非行ってほしいと思うわけです。次があるかどうかわからないので。あの規模というのはまったく当たり前ではないので。

Y:足立さんがやめたら、代わりの人は現れないでしょうね。

h:代わりにやってくれる人がいるかどうかというと…。

Y:いないですよ。

h:さっきのお金の話にも通じますけど、儲かるものではないわけで、よくても収支ゼロみたいな感じで。となると本当に、主催者さんのボランティア精神によって支えられているみたいなところがあって。それはいつも、スタッフとしてお手伝いさせてもらって、思いますね。これはちょっと、(足立さんの)代わりができる人がいるかというと、難しいな、と。

Y:やれないですよ。

h:まあ、それは「WAM生!」にも当てはまりますよね。私はあれは全然当たり前ではないと思ってるんで。さっき、技術的には他の人もできると言いましたけど、現状、予算持ち出しであれだけのことをバッとできる方がそんなにいらっしゃるとは思えないので。

Y:イベントほどではないですよ。

h:イベントの規模とは違うとはいえ、そういう側面はあるとは思います。

Y:次回がないかもね、というのは一緒です。12回目がある保証はない。

h:言ってしまえば、やまとさんが、ちょっと飽きたから違うことやろうかな、と思ったら、もうそれまでなわけじゃないですか。

Y:最近つまらないから他のことやりたいな、と思ったらそれまでですね。

h:と考えると、全然当たり前じゃないんですよね。

Y:「WAM生!」に関しては、もういいかな、と思うことはありますからね。それは…足立さんも思ってんじゃないかなと思う。

h:それは一回聞いてみたいですね。

Y:聞いてみたいですね。

「WAM生!」より。

WAMには哀愁が漂っている?

h:若干話飛んじゃうんですけど、これも前から聞いてみたかったんですけど、このジャンルって、客観的に見ればすごく間抜けなことやってるわけじゃないですか。準備とか、片付けとか、あるいは放送中でもいいですけど、ふと、我に返っちゃうこととかないですか?

Y:ないです。

h:そうですか?

Y:それはないです。

h:ああ、いいですね。全然、虚しくなるとかないですか?

Y:正確に言うと、前日とかに思う。

h:あるといえばあるんですね。

Y:あるっちゃあ、ある。前日とか、当日の朝とかは、ちょっと思う。

h:私はそれをときどき思ってしまうので…。前の日の夜とかに準備してて、明日の大まかなタイムスケジュールを入力してると、何をやってるんやろ、みたいな、ホイップ買って重い荷物提げて歩いてると、自分何やってるんやろ、みたいな。

Y:これして俺、何のメリットがあるんだ、みたいな(笑)。

h:客観的に見ちゃうと、本当にバカなことをやっている。

Y:絶対に世の中に評価されないわけで。

h:そうそう。お好きな方には刺さるかもしれないけど。特に、小道具を用意するときとかは鬼門です。何やってるんだろう感が出ちゃうので。準備は鬼門ですね。

Y:WAMって、この先何年経ってもそういう側面はあるんだろうなと思います(笑)。

h:WAMそのものが持つ哀愁というのか…。

Y:哀愁はないでしょ、別に(笑)。

h:だって、何が悲しくて、ホイップせなあかんわけですか。

Y:くそまじめにモデルさんに説明してね。

h:そうそう、面接とか、あれほど滑稽なものないですよ、冷静に見たら。モデルさんは真面目な顔して聞いてくれてますけど。

Y:そうすね。俺らも真面目な顔して話してますけど(笑)。

h:天井から客観的に見ると、何バカなことやってんのかな、っていう。

Y:絵の具をかぶるときは上を向いてください、とか。

h:それって、見ようによっては、哀愁漂ってる気がするんですよね。あまりにも無意味なことやってる感というか。それを持ってしまった業(ごう)なんでしょうけど。

Y:それが好きだからやってるだけですね。好きじゃなかったら絶対やらないじゃないですか。たぶん、同じような会話って、フェチの世界だったらどこも一緒だと思うんですよ。ゼンタイ着てくれとか、着ぐるみ着てくれとか。

h:モデルさんがどう思ってるのかなというのは、いつも気になりますけどね(笑)。

Y:ですね。どう思ってるんでしょうね。「正直バカだと思った」とは、まだ言われたことないですけどね。

h:モデルさん的にも「自分いったい何やってるんだろう」という感覚は、もしかしたらあるんじゃないかなと(笑)

Y:今度真崎寧々ちゃんに聞いてみよう。

自分の中から消せないもの

h:ちょうどたまたま、コトニアイさん*がたまたま、それに近い話題を書いてて。おばあちゃんになっても、みたいな話で、結構深いなと思ったんですけど。自分の中にあったものは活動の中で放出したけど、消えてなくなってはくれない、みたいなことを書いてて。(自分の中のこのフェチが)いっそ消えてなくなってくれたらいいのに、というコンプレックスを持ってらっしゃったわけじゃないですか。(*注釈 … フリーペーパー「clubwam!」の制作者。以前はスタジオあるく!のメッシーライブのモデルもされていました。)

Y:それはわかるな。WAMっていう性癖が(自分の中から)消えたら楽だろうなとは思います。

h:私はその感覚はない代わりに、ときどきふと、客観的に見てしまって、なんかバカなことやってるなと思ってしまうことはありますね。

Y:WAMを持ってる故に、たとえば将来WAMができなくなったら、ずっとWAMができないストレスを抱え続けるわけじゃないですか。それって嫌だなと思うんですよね。それこそ、結婚して家庭ができました、奥さんにはそれを言えないです、となったら、WAMをやる機会なんかないわけです。でもWAMという性癖は消えてないから、WAMをやりたいという欲求だけが残るわけじゃないですか。それって解消されない、延々と悶々と続く欲求なわけで。そういうの持ちたくないじゃないですか。そういうときに、WAMが消えちゃったとなれば、そんなことを考えずに済むのになあ、と。

h:そこまで深く考えたことはないかな…。

Y:フェチをカミングアウトしたほうがいいのか、しないほうがいいのかという悩みとか、誰かに見つかったらどうしようという恐怖とか、そんなの無くせるものなら無くしたいですけど。

h:ちょっと深いですね。自主映画の主人公はそういうのを持っちゃった人だったじゃないですか。可能であれば、そういう心のひだを(ストーリーに)入れたかったというのはありますね。

Y:映画で描いたのはあくまでもプラスなメッセージだったじゃないですか。今Twitterとかで話している人たちの大部分は、「無かったところから有るところ」(活動が無い環境から、活動できる環境)に来た人たちなんですよね。逆に「有ったところから無いところ」(活動していた環境から、活動できない環境)に行かなきゃいけない人たちっていうのもいるはずで、その人たちは、延々そのストレスを抱え続けるし、今僕らは「ない」っていう環境にいなくていいから感じなくていいけど、あと10年したらそれをずっと抱え続けるかもしれないと思ったら嫌だなと。そういうときにWAMという性癖が消せたら楽だなと。

h:消せないからこその、という…。

Y:消せないから業(ごう)だと思ってる。

h:消せないからこその、今ですからね。

Y:WAMスイッチをピッと消せれば。ノーマルな性癖だけの人は羨ましいと思いますね。

h:羨ましいと思ったことはないかな…。

Y:羨ましい。

h:真性さんっておられるじゃないですか。サイトをやって撮影していると、たまにそういう真性さんから撮影してくれませんか的な問い合わせをいただくことがあって。そういう方にいろいろお話とか聞いていると、こっちにどっぷりというわけではなくて、こっちに明らかに片足は突っ込んでいるけど、とりあえず1回体験できたら満足して、卒業という、そういう方も一定数おられるのかなという気がしていて。

Y:あるんでしょうね。

h:そういう方もおられたので。この方はもしかしたら一回こうして体験できたらある程度納得というか満足されるタイプの方なのかな、と。そこまで業が深くないというのか(笑)。もしかしたらそこで男女差があるのかもしれないですけど。これはまったくサイトには載せてない方なんですけど、そういう方が以前いらっしゃったので。

Y:そういう人はいるかもしれないですね。そういう人たちはこの世界に一瞬足を踏み入れて、いろんなものを見て、ああ楽しかったなと帰って行くのかなと。僕らは、それができないじゃないですか、今のところ。離れられないじゃないですか。

h:その方は、小さい頃からバカ殿とかのメイクを見てモヤッとしていて、それでずっと体験の機会がないかなと思って、サイトもずっと見ていてくれたらしいんですよ。その点ではっきりとこっちの世界の方ではあるんですが、でも一度体験されて、納得されたのかな、と。説明が難しいんですが、折り合いがついたのかな、という感じを受けたので。そういう人もいるんだな、と。もしかしたら卒業できる方もいるのかなと思いましたね。

Y:男性で、卒業した方って聞いたことあります?ないですよね。

h:ないですね。ただ、さっきの女性の方についても全部推測なので、その後実際どうだったかはわかりませんが。

「WAM生!」より。

以前なら「WAM夜話女子会」とか考えられなかった

h:女性という点では、この20年で大きな変化は、女性の方が増えたことですね。これだけ多く女性の方がSNSとかで発信するような状況は、20年前では考えられなかったので。

Y:「WAM夜話女子会」とか、考えられなかったですね。

h:やまとさんも真性さんを撮影されてましたよね?

Y:ありましたね。

h:真性さんはリアクションが違いますよね。

Y:一般の方とはっきりと違うのがわかりますね。

h:どういうふうに違いますか?

Y:メッシーライブの体験コーナーの参加者さんのリアクションのような…。

h:それを女性バージョンにしたような(笑)。

Y:そうです(笑)。

アヤちゃんとの奇跡的な出会い

h:サイトやってきた中で、いちばん印象に残ってることはなんですか?

Y:印象に残ってるのは…何だろうなぁ。うちのチャットルームでみんなで喋ったときかな。himajinさんはいたかな。足立さんとかアイさんとかが来てくれて。

h:あー、参加してたような気がします。

Y:あれは、「えるの部屋」のチャットを思い出しました。

h:時代的には、チャットがもう主流じゃなくなったときですよね。

Y:まあね、時代錯誤は時代錯誤なんですよね、あのときまだチャットルームがあったのは。それは「えるの部屋」の影響です。

h:サイト始める前も含めて印象に残ってることは?

Y:大学生くらいのときに、WAMが好きな女の子と出会ったことがあって。

h:前にその話言ってましたっけ。

Y:言ったかも。結末はないんだけど、自然消滅的な感じで。

h:出会ったのはネットでですか。

Y:メールしたり、MSNメッセンジャーしたり。

h:どこで知り合ったんですか?

Y:適当に、だったかな。当時、適当に電話番号入れてショートメッセージを送るんですよ。イタ電が来ることもあるんですけど。そういう文化があった時代があって、それで出会ったような。

h:WAM系のサイトで出会うとかではなく?

Y:じゃないじゃない。

h:すると奇跡に近いですね。

Y:うん、奇跡だと思う。メッセンジャーとかで喋ってて、カメラつけて、(ビデオチャットで)汚れてくれましたよ。

h:同じ趣味の人と音声で会話したのはそれが最初ですか?

Y:まあそうですね。人と会話したのはそれが最初ですね。

h:詳しく覚えてますか?

Y:よごれてくれたことは覚えてるんだけど、その前後はそんなに覚えてないですね。

h:よごれてくれたときの素材は?

Y:絵の具で。

h:今、その方も、もしかしたらTwitterとかされてたりするかも…。

Y:わかんない、わかんない。名前覚えてますもん、アヤちゃん。最初は携帯でやりとりしてましたけど、徐々に連絡とらなくなって、という感じで。たぶん同い年くらいだったんじゃないかな…。だから19とか20とかの時代だったと思う。

h:それが何年頃ですか?

Y:2002年か2003年ぐらいじゃないかな…。ネットの世界のパートナーみたいな。

h:実際に会おうとはならなかったんですか?

Y:ならなかった。住んでる場所も遠かったと思う。

h:物理的に、距離的に難しい。

Y:今なら日本全国どこでも会えちゃうけど、当時は(行動範囲が)狭いから、九州から出なかったですからね。その子は印象に残ってますね。よごれてくれたのは1回だけでしたけど、後にも先にも。さすがに電話番号も残ってないし。

h:普通の子が、やまとさんにすごく合わせてくれたという可能性は?

Y:その子がもし、そういう癖(へき)がないのに、本気で合わせてくれたんだとしたら、それは俺にはわからないです。ただ、普通はそこまでしないでしょ、という。そこまでして合わせる意味ないよね、という。

h:そう考えるなら本物ですよね。

Y:当時デスクトップキャプチャーをするとかいう知識を持ってたら、録画してたかもしれないですね(笑)。あれが最初の「WAM生!」ですよ。今のほうが、真性さんから撮影してほしいですというリクエストがあって撮影したり、よっぽど当時より過激なことをやってるんだけど、当時のドキドキには勝たないですね。後にも先にもあんな出会いは一度っきりでしょうね。

h:ないでしょうね。

Y:全然あっていいんですけど(笑)。あと何度か。

やまとさん撮影の写真作品「Shiron de」より。

次のページへ進む

ご意見・ご感想をお待ちしています

一言メッセージフォーム (管理人宛に直接届きます。お気軽にコメントください!)

※管理人からの返信が必要なお問い合わせは、メールフォーム のほうからお願いします。
ゲストブック への書き込みも大歓迎です!