Top > Specials > サボテンマニアさんとの対談 2011年 (2011年10月22日掲載)
2011年8月、Monotonous Package+管理人のサボテンマニアさんが関西に来られたのを機に共同で撮影を行いましたが(「パイ投げ体験その7 夏の共同編」)、そのとき、打ち上げ的な形で食事もご一緒していろいろお話をさせていただくことができました。
どうせならICレコーダーを回して公開できる部分はサイトコンテンツにでもしましょう、という目論見のもとお話をして、それをテキストに起こしたものが、今回掲載させていただく内容です。
大まかな内容としては、とりとめなくサイトを始めた頃から最近に至るまでお互いの興味のある話題について話をしているような感じです。 私自身は楽しくお話しさせていただいたものの、他の方がご覧になってもあまり面白いものではないかもしれません。
また、古い時期の事柄については、当時の資料を見返すわけでもなく、記憶だけをたよりに話をしています。 そのため、記憶違いや、事実の認識の間違いが含まれている可能性があります。もし当時のことをよくご存じの方で、内容についてお気づきの点などありましたら、ご教示いただけましたらさいわいです。
ご嗜好やお好みは人それぞれ様々であり、ご覧の方によっては今回の対談で話されている内容には共感できないような部分も多々あるかと思います。 対談中の発言は、個人的な好みから出る個人的な見方に過ぎず、他の方に対し、あるいはジャンル全体に対し、「これが正しい」・「これはこうあるべきだ」的な主張を意図するものではありません。 もしそのように取れるところがありましたら、ご寛恕ください。
特に撮影関連につきましては、質的にも内容的にもまだまだ至らない部分が多く、アマチュアとしての撮影の限界も常々痛感しています。 会話中、特にそうした見方には触れてはいませんが、反省のない現状肯定を意図するものではありません。 今後も、改善を意識しつつ、もしこうしたものでも興味を持っていただける方がいらっしゃるなら…というスタンスで、作品を掲載していければと思います。
そのあたりをご了承いただいた上で、もし内容的にご興味をひかれそうな部分がありましたら、ご覧いただけましたらさいわいです。
最後に、音声をテキストに起こして以下の形にまとめたのは私ですので、文責は当サイトにあります。 もし内容について何かご指摘などありましたら、Monotonous Package+さんではなく、当サイト宛にいただけましたらさいわいです。
前置きが長くなりましたが、以下からどうぞ。収録は、2011年8月某日、大阪の梅田駅近くの個室居酒屋にて行いました。 飲みながらの会話のため会話が前後したり、料理が運ばれるたびに会話が中断したりして、つながりを欠いている部分があります。
「h:」(黒文字)がhimajinの発言、「S:」(青文字)がサボテンマニアさんの発言です。( )は文字にする際に補った言葉です。 それ以外に、文脈の補足や固有名詞についての説明など、発言の末尾に適宜注釈を付けている箇所があります。
起こしたものを読み返し、内容を考慮しつつある程度の量でブロック分けして、各ブロックにタイトルをつけました。 分量が多いため3ページに分けています(ページ2・ページ3)。
ところどころ、内容に関連のある画像を掲載しています。 サボテンマニアさんにもご提供いただきましたが、そのほとんどが未公開あるいは現在は掲載されていない画像だと思います。ありがとうございました。
h:サイト(Monotonous Package)を始められたのは…。
S:1999年…あまり記憶にないんですが。
h:1999年ですよね。だいぶ早かったと思います。
S:その当時にあったのが下関マグロさんや並木さんや悩殺伯爵(現・KAJI)さん、東山さんなど(のサイト)で、その中で悩殺さんのサイトはテレビ関係を扱っていて掲示板があって。そのときは専門ビデオには全然興味がなかったので悩殺さんのところに入りびたってて、おれもこんなの(サイト)作れたらいいなと思って勉強して作ったのがウチ(のサイト)でした。
h:パイオニアの一つですよね。かなり早いほうというイメージがあります。
S:サードパーティーくらいのイメージなんですけど(笑)。 まだ(ネット回線が)ダイヤルアップの頃でしたね。パイ投げ倶楽部の画像をダウンロードをするのにずーっと待ってた時代で。
h:懐かしいですね。
S:リンクの張ってある画像と張ってない画像があって。
h:(サムネイルから)大きくなるやつと大きくならないやつですね。
S:そんなのすらわからない時代でしたから。今思い返してみると、悩殺さんのところ(掲示板)には痛々しい書き込みばっかりをしてたんで、若かったんだなあと。
h:その頃が(テレビネタ関係は)いちばん盛り上がっていたという見方もできなくはないような気がします。
S:(その頃見ていた人は)みんながまだインターネットを始めたばかりくらいでしたね。
h:今よりネットのMessy人口はずっと少ないはずですけど、そのわりには書き込みは活発でしたね。
S:何かあったら即書き込むレベルで。
h:けっこう小ネタでも盛り上がる感じというか。
S:悩殺さんのところは濡れとかもやってて、そういうウェット系の人たちも来たりとかで、異文化交流的なことがありました。
h:当時は牙行さんのところももうありましたね。
S:ありましたね。Maiki's Houseさんができたのもたぶんその前後くらい*。ぎんぎつねさんとか。 (*注釈 … 1997年開設です。)
h:泥んこフェチ倶楽部*さんとか。 (*注釈 … 現在の「どろんこ倶楽部」さんとは別のサイトです。)
S:ありましたね。たぶんその当時はまだ(テレビ番組のシーンについて)何のデータベース化もできてなくて、マグロさんがそのあたりのデータベース化をちょっとずつ始めてた頃だったんで、みんなが知ってたシーンだったり、知ってたけど手元になかったり、そんなシーンがあったのかというのをみんなが羨ましがる時代で。
h:そうですね。当時*パイ投げ倶楽部さんに全然見たことないシーンがたくさん並んでて、こんなんあったんだと。他に(テレビシーンを)集めている人がいたんだ、というのが大きかったですね。 (*注釈 … 私は1997年に初訪問しました。)
S:それがいちばんデカかったですね。志村系がほぼコンプリートされていたのと、ウルトラクイズ・高校生クイズあたりがある程度揃っていたのを見て、すごい世界ができてるな、というのは思いました。
h:サイトを始めたもっと具体的なきっかけみたいなものはあるんですか?自分でやることの意義というか。
S:そういうサイトに載ってなくて自分が持っているシーンをちょっと紹介しようかなくらいの、すごい軽い気持ちでしたね。その中でいちばんみんな持っていないだろうなというのが、群馬テレビでやってた「へそ祭り」のレポーターのシーン。あれはみんな持ってないだろうから紹介したいなから始まって。
h:結構初期に見せていただいたぶんですかね。
S:俺のキラーソフトはあれだけですね。
h:そんなことないんじゃないですか?
S:他はわりとベタなシーンだけだったと思うんですが。
h:キー局でやってるやつとかはかぶりますよね。
S:重ね撮りに重ね撮りだったんで画質もそんなに良くなかったし。
h:そうですね、当時はまだVHSでしたね。
S:なおかつダビングがVHSからVHSなんで、劣化に次ぐ劣化で。
h:しかも情報も今みたいにそんなにネット上にないから、テレビ雑誌を頼りに…。
S:そう、毎週ザテレビジョン買ってました。
h:私は今でも買ってますけどね。もう買ってませんか?
S:今はもうネットのほうで補完しちゃって、雑誌はほとんど。
h:今はもうザテレビジョンの体裁がずいぶん変わっちゃってテレビガイド派になっちゃったんですけど。たしかに、当時は、情報を一つ探すのでもすごく苦労がありましたね。
S:見逃したときの絶望感が半端なかったというか。
h:そうですね、今みたいにYouTubeもなかったし…。
S:今は完全に補完できますからね。
h:便利な時代になりましたね。
S:良いか悪いかは別にして(笑)。99年にサイトを起ち上げた当時は、画像を見せるのと、あとは(テレビ番組のシーンの)ちょっとしたデータベース化も狙ってたと思うんですけども。
h:まだそのときは個人撮影的なことはまったく頭にはなかった感じですか?
S:まったくなかったですね。とりあえずテレビネタで交流できたらいいな、みたいな。
1枚目…群馬テレビのへそ祭りレポーター 2・3枚目…「社会の窓2」(Pictures 2010より)
h:そういうふうに始めて、個人撮影にまで行くような経緯は…?
S:なんだったのかなあと今振り返っているんですけど…。2001年に1回やっているんですよ。大学の友人を使って*。 (*注釈 … 2001年に友人をモデルにした撮影を行い、Monotonous Packageで静止画を販売されました。)
h:あー、販売されたやつですね。
S:当時買った方がいるとしたら、(今の水準から見て内容的に)申し訳ないことをしたとしか言いようがないんですが。それはほんとに偶然で、そのときの女友達が、ちょっとした頭のおかしい子だったんで(笑)。しかもいちばん最初は、洗顔フォームを顔に塗るくらいだったらいいよっていう話だったのを、ごり押しして、粉はどう、泥パックはどうっていうふうにしていって、なんとかこぎつけたような。
h:売れた・売れなかったというような印象はありますか。
S:ビデオからのキャプチャー画像をただCD-Rにまとめただけというわりにはそれなりに(数が)出たなというイメージがあります。
h:やっぱりそういうものがまだ全然たくさん販売されていない頃ですね。
S:(ディスクを)一枚一枚手焼きでしたからね。
h:それは次に繋がらなかったんですか?
S:まずは機材的な部分で…あとはお金が。あ、思い出した、(そのあとに)宝くじが当たったんだ。宝くじが100万当たって、それを使って何かやろうと思ったのがいちばん最初ですね*。 (*注釈 … 当然、生活費など諸々の費用に回る部分のほうが多かったでしょうし、すべてを撮影費用にできたわけではないと思います。) 【2014年7月19日追記・訂正】 その後、サボテンマニアさんから、宝くじが当たった時期はまた別で、撮影費用のきっかけは違った臨時収入だった、との訂正をいただきました。追記しておきます。
h:結構、なかなかない話ですね。
S:それまでは本当に貧乏学生でしたが、それでだいぶ余裕ができて。ビデオカメラはすでに1台持っていたので、並木さんに1台借りて、2003年の11月にまずお試しで撮ってみようと。そこでまず初っ端は大失敗でした。えげつない大失敗がありまして…当時全身タイツから始めたんですけど、すごい痛いモデルさんで。戦争論とか始めちゃうような人でした。
h:こういうジャンルは相性がありますよね。
S:化粧は濃いし、聞いてた年齢とは明らかにかけ離れているし。替えの下着を持ってくるようお願いしていたのに持ってこなかったりとか、そういうちょっと厄介なモデルさんでした。その当時使ったクリームも冷凍クリームで。
h:まだノウハウが全然なかった頃ですね。
S:冷凍クリームを溶かしてにゅるにゅるやっただけのやつで全然付着しなくて。それでまず挫折。
h:もうやめようってならなかったんですか?
S:それから次にやったのがしばらくしてからなので、たぶん1回滅入ってたと思うんですよね。でもその当時もうテレビとかじゃ満足できなくなっていたんで。冷凍クリームじゃダメだということで、ホイップしたクリームを使ってみたらわりとよかったということで、ようやく軌道に乗り始めたのが2004年の3月、4月でした。
h:その頃のはたしか販売も…。
S:1発目のは(販売を)やりました。その当時は着衣でパイ、脱がしてパイだけっていう。あとは風呂場で粉やって、粉は片栗粉だったんであまりうまくいかなかったりとか。
h:着衣のパイ投げを撮影される方はそんなにたくさんはいらっしゃらなかったですよね。
S:専門ビデオは絵の具(ペイント)が多くて。俺的には、バラエティ色のあるやつがあまりなかったんで、自作するしかないな、と。
h:結果的にやみつきになっちゃったということですか。
S:一回自作したら自分で作ったほうが手っ取り早いなっていのうのはあります。テレビを待つより。
h:一回自分で作品を撮ったら繰り返し撮る方が多いのは、そういう理由ですかね。
S:おそらくそうでしょうね。
h:個人的にはサボテンマニアさんの撮影からすごく影響を受けたほうです。あー、個人でできるんだ、という。
S:俺もその、お金が入ったというのがまずないと、個人でそこまでやる気にはなれなかったんですけど。
h:それ以前にイベントとかも行かれてますよね。
S:ガタリンピックに1回行きましたね。あれも、テレビのニュースだけじゃ物足りなくなってきまして。
h:一回自分で見に行ってやれ、と。
S:あれがいつだったかなぁ。
h:私は2003年に初めて行ったんですが、その理由が、サボテンさんが前年に行かれて、そのリポートを見たのがきっかけだったので、(サボテンマニアさんが行ったのは)たぶん2002年ですね。
S:もともと出不精なんで、あれが初飛行機。埼玉から東京に移動して、東京の羽田、福岡に飛んで、高速バスで佐賀。カプセルホテルに一泊して、電車移動して有明。その時点で疲れ果ててまして。
h:それは疲れますよね。
S:まあ頭痛が半端なかったとしか覚えてなくて。また、暑かったんですよね、そのときは。たしか帰りの飛行機の時間があったので最後まで見られない時間帯に帰らないといけなくて。 大会の開始のほうは、開始前から一番前に乗り込めたんですけど、自分と競技との距離が遠いこと遠いこと。そこで一萎えして、しばらく体験場のほうを見て、人がわーっといてどこを見たらいいかわからなくて。たまたまカップルがバックドロップする瞬間があって。最終的に学校が体験しているところがあったり。そのあたりでもう頭痛に限界が来て…。
h:今で言うところの熱中症ですよね。イベント撮影と、さらにわざわざ自分でモデルさんをつかまえて撮ろうというのには結構距離があると思うんですが、そこまで飛躍があったのは…?
S:イベントを見て思い通りにならなかったというところですね。
h:だったら、モデルさんをつかまえちゃえ、と。
S:(ガタリンピック行きは)すごくお金がかかったというのもあります。往復の飛行機にしろ、交通費だけでも半端ないですし。なんだかんだで土曜の朝に出て日曜の夜に帰ってくるという強行軍で。
h:関東からはきついですよね。関西からでもきついですけど。
S:休みとって2泊3日くらいで考えないとちょっと行けないな、というのがあって最近全然行っていません。
h:皆さん来られる方はたいてい2泊とか、前後に1日プラスして来られる方が多いです。
S:そのとき、月曜から(大学の)授業だったのが、結局出られなくて。
h:体力(の限界)が来ちゃったわけですね。ですが、個人的には、あのときの大会レポートには、すごいな、という感じがして。
S:愚痴混ぜなレポートでしたが…。
h:でも逆に臨場感がありました。
S:あまり綺麗事は書きたくないので(笑)
h:高揚感が伝わってくるような気がしたんですよね*。1回自分で行ってみたいなと思って、結局行ったんですけど。 (*注釈 … リポートには、観戦を思い立った経緯に始まり会場までの移動や観戦の過程が時系列で詳細に書かれていた他、今後への観戦ガイド的な記述もありました。)
S:俺としては、自己満足で書いてたところから、そういうふうに思ってくれたというのは、結構ありがたかったりします。
h:どう受け取るかは見る方によって様々だとは思います。
S:いちばん多かったのは、レポート画像が小さいという苦情が(笑)。横200・縦150くらいのサムネイルサイズしか載せてなくて。
h:結構、あのレポートの影響は大きかったですね、個人的に。 あれを見て翌年行こうと思って、翌年(2003年)実際に行って、なんとかしてモデルさんをつかまえたいなと思ったので、あれきっかけと言えばあれきっかけです*。 (*注釈 … もう一つ、ぐれくれさんのサイト「Glay Clay」に掲載されていたリポートの影響も大きかったと思います。)
S:himajinさんがサイトを作ったのはその頃でしたっけ。
h:2005年です。
S:けっこう間があいているんですね。
h:きっかけ的なことを言えば、2005年に初めて泥んこを撮って(「泥んこ体験2005」)、サボテンさんから販売の話をいただいて、サンプルの掲載場所を用意しないといけなくて、とりあえず当時有名だったInfoseekのスペースを借りて*、そこに載っけたんですよ。 販売自体はサボテンさんに期間限定でやっていただいたので、期間が終わったら閉じてもよかったんですけど、なんとなくそこからサイト化しちゃいました。それきっかけですね。 (*注釈 … Infoseekのスペースは、同サービスが終了した2010年9月までトップページとして使用していました。「サイトURL移転のご案内」参照)
S:今となっては俺がほとんど手を引いちゃってる状態で、テレビ関係の情報も含めhimajinさんのところにおんぶにだっこなんですけど。
h:いえいえ、とんでもないです。
S:マメなんだろうな、というのを感じます。俺は最初はもう、半分、自己顕示欲的なところから始まってたんで。こんなの持ってるからみんな見て見てっていう。俺、1999年に始めて、 2004年に1回閉じてるんですよ。
h:それは、何か嫌になっちゃったんですか?
S:嫌になっちゃった。自己顕示欲で続けてたものが、レスポンスが少なくなって、これ続けても俺に得がないな、というのと、あとは俺の書き込みのやり方も悪かったんですけど、叩かれたりとかもあったんで、面倒くさいなと思ってやめたんですけど。 やめたらやめたで、なんか…。そのときにはすでに撮影始めてたので、これを見せる場所がなくなるな、と思って、半年くらいで(サイト名に)「+」をつけて復活させました。
h:やめると寂しくなっちゃうというか。
S:そこらへん中二病丸出しというか(笑)。
h:でもやっぱり、見ている方からの反応はいちばんモチベーションというか、次につなげる一番大きな理由ですよね。
S:まあ、今読み返すと、2004年くらいまでは、恥ずかしい書き込みだとか、恥ずかしい日記だとか、そんなのが多くて。なにげに、あの日記がいちばんレスポンスがあったんですよね。当時、お笑いサークルに入ってて、1日2ボケというのを自分に課してたんで、その2ボケを日記の中でやるというのをずっと続けてて。(日記は)2003年くらいにやめちゃったんですけど。
h:こちらとしては、(私のサイト上の活動は、テレビ関係にせよ撮影にせよ路線的に)全部サボテンさんの後追いでやってるという認識なんですよね*。 (*注釈 … もう少し広く言えば、たとえば「Pictures」の掲載形式は下関マグロさんによる「パイ投げ倶楽部」の初期の紹介形式そのままですし、撮影のほうは内容的に海外作品及び槇村瞭さんに始まる数々の国内作品の規模を縮小したものに過ぎませんので、サイト内に本当の意味で新しい要素はほとんどないと思っています。)
S:逆に、俺が先にやって、悪いところだらけだったんでそれを全部浄化してくれたというイメージです。
h:まずとにかく、撮影については、ああ、個人でできるんだ、というのがありました。
S:2003年の大失敗から、2004年になってまた始めたのが、自分でもよくわからないと言えばわかんないんですけど。なんだったんだろうなぁ。お金の理由だけだったのかなぁ。
h:でも物事を始めた頃特有の熱意というか…そういうのがあったんですかね。
1枚目…2001年、大学の友人による撮影 2枚目…2004年、軌道に乗るきっかけの撮影
3枚目…ガタリンピック初観戦
※この3枚はサボテンマニアさんご提供です。
一言メッセージフォーム (管理人宛に直接届きます。お気軽にコメントください!)
※管理人からの返信が必要なお問い合わせは、メールフォーム のほうからお願いします。
※ ゲストブック への書き込みも大歓迎です!