Top > Specials > 実践派の方から聞いた奇妙な話 2025 (2025年8月28日 Twitterから掲載)
今から10年以上前に、ある実践派の方から聞いたお話です。(このページの写真はイメージで、本文中のイベントや撮影とは関係ありません。)
※どこに人がいるでしょう?干潟ではこのように埋まることができるのも魅力の一つです。(「泥んこ体験その5 蔵出し・晩夏編」より)
人によって素材のお好みは様々で、パイ・泥・絵の具など全般的に好きだという方もいれば、特定の素材だけが特に好きで、他はピンとこないという方もいます。さらには、この素材は苦手だ、ということもあります。
そういった素材の好き嫌いが生じる背景には人によって様々な事情や経緯があるかもしれませんが、その中には、にわかには信じがたいようなものもあるようです。以下は、ある実践派の方から伺った、不思議でちょっと怖いお話です。夏といえば怪談・奇談が定番の一つということで、5年ぶりに載せてみます(5年前のお話はこちら)。
2012年、大阪で「スタジオあるく!」さんによるイベント「メッシーライブ」が行われ、大盛況のうちに終わりました。それに刺激を受けてか、一時期、関西のSM界隈では、いろいろな主催者さんのもとで、メッシー要素のある小規模なイベントやオフ会が活発に開催されたことがありました。私もそういった集まりのいくつかに参加させていただきました。今回のお話を聞かせてくれた方と知り合ったのは、たしか2013年頃、大阪ミナミで開催されたとあるイベントだったと思います。
ショーの演目の中にボディペイント要素がある、みたいなものだったように思いますが、今では肝心のイベントの中身についてはあまり詳しくは覚えていません。もしかしたら違うイベントだったかもしれません。そういった小規模イベントの多くはSMバーやサブカル・フェチ全般に理解のあるカフェ・ギャラリーなど小さなお店で開催されることが多く、店内の人口密度が高いため、ショーの合間にお客さんがお店の外で休憩する、みたいな光景もよく見かけました。
そのように、私がお店から出て少し休憩していたときのことです。時間帯は夜で、喫煙者の方が集まっているところから少し離れた場所にいると、当時の私より年上に見える、40代くらいの紳士的な雰囲気の男性の方から、「もしかしてhimajinさんですか?」と話しかけられました。なんでも、お店の中で私と他の方が話しているときに、私の声が動画作品の声とよく似ていたため、もしかしたら、と思ったそうです。いくつか絵の具の作品をご購入いただいていたそうで、「よくわかりましたね!」と話が弾みました。この方をここでは仮にAさんとさせていただきます。
初めましての方との鉄板の話題は今も昔も素材のお好みに関するもので、「特に絵の具がお好きなんですか?」と尋ねると、Aさんは「そうですね。今はほぼ、絵の具オンリーです」とのこと。「じゃあ泥とかはそれほどという感じですか」と振ると、「実は泥は苦手で…」とのお答えで、すぐその後にフォローするように「以前はむしろ大好きだったんですけどね」と付け足されました。私のサイトと言えば干潟の泥んこ作品がメインだと捉えていただくことが多く、私は「お気遣いありがとうございます」と言ったところ、Aさんは、「いえ、苦手と言ったのを失礼と思って適当な言い繕いをしたのではなく、実は本当に昔は泥好きだったんです」と言います。そして、少しだけ躊躇するような間合いの後に、Aさんが「これは今まで誰にもお話ししたことはなかったんですが、こういうわけです」と言って話し始めたのは、不思議なお話でした。
もうずいぶん前のことですし、もしかしたら細部の表現に記憶違いはあるかもしれませんが、Aさんのお話はおおよそ以下のようなものでした。
もう10年以上前(2013年頃の10年以上前なので、2000年代初頭でしょうか)、当時Aさんには付き合っている彼女さんがいましたが、「メッシー」の嗜好については打ち明けることができませんでした。彼女さんとは別に、一緒にメッシープレイをする女性パートナーのBさんがいて、AさんはBさんとときどき様々な素材で遊んでいたそうです。BさんとはSMのお店で知り合い、いわゆる真性さんではなかったらしいですが、メッシーにも理解があって、わりとハードなプレイでも積極的にやってくれる、「とてもいい子」でした。ただ、Bさんの存在は彼女さんには秘密で、Bさんとのプレイを楽しみながらも、Aさんの心中では彼女さんに対して常に後ろめたい気持ちもあったそうです。
当時のAさんは、パイ・泥・絵の具、どんな素材でも全般的に好きで、プレイのたびに積極的に違う素材を試すほどでした。そんな中で、ニュースのガタリンピックの映像を見てずっと気になっていた、有明海の干潟に実際に行ってみたいという願望が強くなっていきました。関西在住の者にとって佐賀は遠いですが、行動力のあるAさんは、早速干潟体験について調べ、ある年の8月、Bさんとともに道の駅鹿島に降り立ちました。
広大な干潟を前にして、これは最高の環境だ、とAさんは感動し、また実際に干潟に入ると、泥の質感についてもすぐに気に入ったそうです。Bさんの反応もすごくポジティブなもので、2人で干潟の泥をひとしきり楽しみました。初めての干潟体験は良い思い出となり、帰宅した数日後には早くも、また行きたい!という気持ちが湧き上がっていました。Bさんと再び鹿島を訪れたのは、僅か2週間後のことでした。2回目の体験でも至福の時間を過ごし、体験の終盤、Aさんがどうしてもやってみたかったことに取りかかりました。それは、干潟に寝そべって全身泥に埋まり、一見そこに誰もいないかのような平面になるというもので、ビデオ作品でもまだ見たことがないものでした。
まずはBさんに干潟に埋まってもらうことにして、埋まるのに適した泥質のエリアを見つけ、泥をかきわけた上で寝そべってもらい、左右から泥をかけ、Bさん自身にも体を揺らしてもらいながら徐々に体位を沈めていくと、ぱっと見では少し膨らみがあるかな?くらいの状態にすることができたそうです。口だけが呼吸のためにパクパク開いていて、これこそここで見たかった景色だ!と、感動しました。2回目の体験だったこともあり、ガタスキーをレンタルして、上にバケツを置き、その中にタオル・水とデジカメを入れる万全の体制で、ときどき体験の様子をデジカメで撮っていました。もちろんこの場面も撮っておこうと、デジカメを構えた直後に、事件は発生したそうです。
そのときAさんは、デジカメの先に見える、泥に埋まったBさんの口元に違和感を覚えたのです。一瞬、口の中に覗いた歯並びが、Bさんとは違う人のように見えた気がして、構えたデジカメを下ろして改めてBさんの沈む泥面を凝視しました。すると、なんだか泥の中の人がBさんではない、もう一人のよく知っている女性になっているような感覚に襲われ、次に、その口元がはっきりと声を発しました。「あんた、こんな趣味持ってたんやなあ」。
その声はBさんではなく、間違いなく彼女さんのものでした。声だけでなく、彼女さんはずっと関西在住で関西弁を喋りますが、Bさんは関東出身で、こういう言葉使いはしません。Aさんは驚愕して一瞬頭の中が真っ白になりましたが、次の瞬間には咄嗟に体が動いてBさんの顔の部分の泥をかき分け、上半身を抱き起こしました。泥の下から出てきたのは当然Bさんで、いったい何があったのかというようなきょとんとした表情をしています。さっき何か言わなかったかと尋ねてみると、泥が気持ち良くてリラックスして、半分眠ったような状態になっており、ひとことも声は出していないと言います。
Aさんは冷水を浴びせられたような気分になり、あわてて体験を終えました。Bさんを怖がらせてもいけないと思い、泥の中で眠り込んだように見えたから慌てて起こしたんだ、という嘘の説明をして、先ほど起きたことについては一切話しませんでした。幸いだったのはBさんが細かなことを気にしない大らかな性格の方で、Aさんの様子に関して、「もう終わりでいいの?」と少しだけ訝しんだ他は何の詮索もしません。Bさんは長い帰路もいつも通りの朗らかな様子で、逆にいつもより無口になったAさんのことを特に気にする様子もなかったそうで、Aさんからすると、そのときはBさんの様子すらもなんだか怖く感じられたそうです。
新幹線の車中、Aさんの頭には、あれは幻覚だったのだろうか、それにしてはあまりにも声がはっきりしすぎていた、もしかしたらBさんと彼女さんは通じていて、Bさんが声色を使って驚かせたのだろうか、あるいはもっとオカルトめいた想像をするなら、自分への疑心を持つ彼女さんがBさんに憑依したのだろうか……などと止め処ない妄想が渦巻き、気が休まりませんでした。だんだん、気分もわるくなったそうです。(このお話を聞きながら、私は熱中症とその影響による可能性を考えましたが、このときは何も口を挟みませんでした。)
そして、この一件がAさんに与えた決定的な影響として、Aさんは顔や体の輪郭を隠してしまう素材やシチュエーションが苦手になってしまったそうです。一方ではけっしてありえないことだと思いつつも、相手が素材で覆われて輪郭を失ったあいだにまた中身が他の人と入れ替わってしまい、思いもよらぬ言葉をかけられるのではないかという恐怖心が拭いきれない、と言うのです。泥だけでなく、ホイップも塗り方次第では輪郭を隠せるため、同様にダメになった、と言っていました。「絵の具は元の体の輪郭が綺麗に残って、まみれた後もその人だということがわかるので、今ではもっぱら絵の具だけで楽しんでいます。信じてもらえないかもしれませんが、干潟や泥が苦手というのは、こういうわけです」という、Aさんの述懐でした。「自分でも本当にそれが何だったのかわからないような事柄に、被害妄想を重ねても仕方ないんですが、あんたこんな趣味持ってたんや、というその言い方が、そのときの僕には、自分を突き放すような棘を含んでいるように聞こえたんです。それが何よりも心に堪えました」。
そのお話を聞き終えた頃には、他の人たちはみんなお店の中に戻っていて、外には私たちだけでした。なんだか異世界に取り残されたような気分になり、私もゾッとしましたが、それと同時に、とても興味深い話だ、とも感じました。しばしの無言の間があった後、もしよろしければ、そのお話をTwitterかWebで紹介させていただいてもいいですか、とAさんに尋ねると、もうずいぶん前のことですし、別に構わないですよ、とのことでした。お話の中にデジカメ云々という場面があったので、厚かましいとは思いつつ貴重な干潟の写真への好奇心には勝てず、「そういえば、そのときの体験のお写真って、まだ保存されてたりしますかね?」と尋ねると、一瞬、Aさんの表情が「こいつマジか」というような感じで曇った気がしましたが、「一応探してみます」とのお返事でした。Twitterはやっているが、A面のアカウントしかなくフェチ系については閲覧だけにしており、フェチ絡みの連絡が来るのは困るとのことで、メールアドレスを交換させていただきました。後日、Aさんとは儀礼的なご挨拶とお礼のメールが一往復あったのみで、私もそのお話を深掘りすることが怖く感じられて、このときのやりとりはそれで終了しました。
イベントそれ自体については詳しくは覚えていないのですが、このAさんのお話は、強烈に印象に残りました。Aさんが落ち着いた雰囲気の方で、そのお話しぶりも冗談や嘘を言っているようには見えない真剣な雰囲気だったことが、何よりも怖く感じられました。その後、彼女さんとはどうなったのか?ということも気になりましたが、私から尋ねるべきことではないとも思いました。
上記のイベントでの出会いから数年後、2016年にサイトで「1990年代以前の撮影エピソードをお待ちしています」 という企画をしました。このとき、2000年代初頭にパートナーさんと干潟に行っていたAさんなら1990年代にも何かご経験があるのでは、と思い、久々にAさんにご挨拶がてらメールしました。サイトでこういう企画を始めたので、90年代にプレイを撮影したことがあるなら、そのときのお話を聞かせてほしいとお願いするとともに、数年前にイベントでお聞きした干潟体験のお話をまだサイトに載せておらず、今載せても大丈夫か、改めてお尋ねする文面でした。このときは、奇談・怪談としてというよりも、そもそも2000年代初期の干潟撮影はプライベートなものであっても大変貴重なものですので、「1990年代」という時期設定からはやや外れるものの、不思議な部分は省略して普通の撮影エピソードとして掲載させていただければ、という心積もりでした。
ほどなくAさんから丁寧なご返信があり、それによると、昔にいろいろやったのは確かだが、最初のプレイが何年頃だったかははっきり覚えていない、写真も撮ったと思うが初期はフィルムだったしネガが残っているかどうかはわからない、もうちょっとよく思い出してみて後日メールします、とのことでした。そして、干潟の件については少し意外なことが書かれていました。曰く、「その後結局、絵の具もダメになりました。よかったらその話もいっしょに載せますか?」と言うのです。絵の具までダメになった理由が何なのか、もしかしたら泥のときのような奇妙な話なのか、たいへん気になり、是非お願いします、と返信したのですが、その後、今に至るまで、Aさんからメールはいただいていません。有償の原稿依頼というわけでもなく、催促しにくい事柄ですので、私のほうからもそれっきりになりました。
たしか、それから1年ほどして意を決して再度メールを差し上げたのですが、そのときにはもう宛先エラーで返ってきました。メールアドレスが不通になるのはよくあることですし、いちばん最後のメールには、結局絵の具もダメになったということの他に、今は新しいパートナーさんと緊縛や拘束で楽しんでいる、という近況も書かれていましたので、その後もAさんご自身はきっとお元気にお過ごしのことと思います。
2度にわたり許可をいただいていますし、内容的にどこかにご迷惑をおかけすることはないだろうと思い、今回掲載させていただきました。Aさんが干潟で体験された不思議な出来事は、いったい何だったのでしょうか?その後、「結局、絵の具もダメになった」とは、どんなことがあったのでしょうか?今となっては知る術はありません。
白塗りや黒塗りのメイク撮影をしていると、モデルさんがメイク後の顔を鏡で見て、「うわぁ!もう元の顔が誰かわからないですね」といった感想を述べられることがよくあるのですが、そのたびに、このときのお話が頭の片隅にチラッと蘇り、いえいえ、泥やパイに比べたら全然あなた自身と輪郭が残っていますよ、という思いがよぎります。
おしまい
泥の中の人は、本当にその人自身ですか? (「室内泥んこ その3」より)